紅茶が大好きではじめた女子だけのパーティ「紅茶会」ですが、
徐々に活動範囲も広くなってきたのでホームページを立ち上げました。
紅茶の知識を深く知り、紅茶の時間を豊かにするスウィーツやクロスでテーブルを飾り
スペシャルな時間とオンリーワンのフレーバーを作り出しています。

中国茶をはじめ、美しい色を奏でる紅茶の知識を日々深めています。

紅茶のルーツ

現在、世界の茶の生産の8割は紅茶です。 1985年の茶の収穫量は2,333(千トン)、そして緑茶の生産量は424(千トン)程度です。
日本では中国から伝わってきた緑茶が普及しており、紅茶の消費量は緑茶に遠く及びません。お茶のふるさと中国も緑茶の消費が中心です。
ところが、それ以外の地域、ヨーロッパやアメリカではお茶といえば紅茶で、特に、茶の輸入数量では圧倒的な国イギリスは紅茶の本場です。
いったい、どのようしてこのような紅茶文化が隆盛を極めるようになったのでしょうか。

実は当時繁栄を誇ったオランダから輸入されました。
オランダ人が日本と中国からそれぞれお茶を買いつけてジャワ島のバンタムからオランダ船に積んで本国に送ったのが1610年頃で、オランダの連合東インド会社のアムステルダムのサロンで使われたようです。
1630年代の中頃から、オランダは近隣諸国のドイツ、フランス、イギリス等へもお茶を売るようになりました。
つまり、中国からお茶を輸入し、ヨーロッパに広めたのはオランダです!この頃は、オランダの王侯・上流階級の間で飲まれていました。
オランダ人は苦いお茶に高価な砂糖を入れて飲んでいたようです。また、茶碗から受け皿に移して、それを啜っていたといいます。
上流階級の女主人のもてなしとしてお茶は使われていたようです。女性は昔から紅茶の香りや色にに魅せられていたのですね!
又、ミルクを入れる飲み方がはじまったのもこの頃(1655年〜1680年頃)ではないかと言われています。
最初、イギリスでの紅茶はオランダで喫茶の経験をしたイギリス貴族だけが飲めるものだったのです。

そのうちイギリスでは産業革命が進行して、労働者階級の人々も茶を飲めるようになりました。このころから濃く淹れた茶に、ミルクと砂糖を加えて飲む文化も広まってきたようです。
西インド諸島での砂糖量産の成功によって、砂糖の価格が急低下する「砂糖革命」で値段の安くなった砂糖を、緑茶より香味の強い工夫茶に加えて飲む、という習慣が定着したのです。

こうしたことでイギリスでの喫茶は定番化され、独自の茶道具を開発し、独自の文化として発展していくことになったのです。